<目次>
1.略歴
2.コーチングとの出会い
1.略歴
1961年 | 兵庫県西宮市生まれ |
1983年 | 京都大学法学部卒業 |
住友電気工業株式会社入社 | |
(主に土木向け・自動車向け特殊金属線の営業に従事) | |
2021年 | 同社を定年退職 |
子会社での勤務継続の傍ら、コーチングの勉強を開始 | |
2022年 | (一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナル・コーチ として独立 |
その他 | 5人の子の父 |
小中学生へのバスケットボール指導歴約13年 | |
大学時代は体育会水泳部(水球) | |
サラリーマン若手時代は組合幹部やリクルーターなども経験 |
2.コーチングとの出会い
<聞くことの重要性に気づく>
もともと私は生粋の体育会系・モーレツサラリーマン。相手をぐいぐい引っ張っていく昭和系リーダーシップを指向していました。が、年齢を重ねるにつれ、その限界や弊害もうっすらと感じ始めてもいました。そんな2015年、インドネシアの拠点長へと異動。54歳にして初めての海外勤務は不安でいっぱいでした。異国異文化の中で約500人の製造販売会社のトップを務めるうえで、頼りになるのはまず先輩駐在員たちです。私は彼らの話を丁寧に聞くことから始めることにしました。それまでの「いかに話すか」から「いかに聞くか」への大転換です。これは私がここでの仕事を覚えていく上でも、インドネシアという国に馴染んでいくうえでも、何より駐在員たちとの信頼関係を作っていく上でも極めて有効でした。話を聞いてほしいのは駐在員だけではありません。私が話を聞いてくれる人だとわかると、実際に実務を進めてくれているローカル社員もどんどん話をしてくれるようになり、この会社が自分のものになっていく手応えを実感していきました。
<コーチングに初めてふれる>
私の勤務先では海外駐在員教育にコーチングを導入していました。初めての海外勤務への不安こそあれ、既に営業部長を相当年数経験していた私は、自分の実績や獲得してきた社内外からの信頼に自信満々で、今更のコーチングには懐疑的でした。が、やってみると思いもかけない問いをコーチから投げかけられ、ずいぶん貴重な気づきが自分の中の深いところから生まれました。この気づきは4年間の駐在生活にインパクトのあるものであり、上記に記載した「聞くことの重要性への気づき」もコーチングと関連していたのだろうと思います。
<コーチングを志す>
2021年、還暦を迎え長年お世話になった住友電気工業株式会社を定年退職しました。子会社ではまだ現役として勤務中で、おそらく65歳まで雇用は継続できたのだろうと思いましたが、それでもいずれ組織を卒業する時が来ます。そのあと自分はどうやって生きていくのだろうということを真剣に考えました。そこで思い出したのがコーチングです。あの時貴重な経験をさせてくれたコーチングをきちんと学んでみよう。そうして自分のコミュニケーションスキルを一段ブラッシュアップしよう。そう思ったのです。
意を決して学び始めたコーチングは予想以上におもしろく有益でした。いずれサラリーマンを卒業したらコーチングで社会や世の中と関わっていきたいと思うようになり、さらには、どうせ始めるなら早い方が良いという思いにつながり、ちょっと早めの会社卒業を決断しました。
<コーチングを学んでみて>
私は、サラリーマン現役当時から対人関係には人並み以上に自信をもっていたのですが、コーチングでの学びはまさに瞠目に値し、私の対人対応力は飛躍的に向上しました。
また、思春期から大学時代、サラリーマン時代と公私ともにいろんな経験を積んできて、そうした経験知見も私の貴重な財産のひとつだと思ってきましたが、それらは全部私がコーチングで身を立てるためにつながっていた一本の道のように感じることがあります。ここに来るために全てのことが用意されていたんだという感覚。まさに、全てが今に結実しており、コーチングとの出会いによって私という人間そのものがひとつバーションアップしたものに書き換えられたような手応えを実感しています。ぜひ一人でも多くの方に同じような思いをお届けしたいと思っております。この天職に出会えたことに心から喜びと感謝を噛み締めながら、これまでたくさん頂いてきた御恩を一人でも多くの方にバトンパスしていければと切に願っております。